AT限定解除とは何をするの?

AT限定解除とはどんなことをするのか?インターネットで検索してもそういった情報が少ないのでこのブログで発信しようと思う。
去年の冬、僕は会社の人間から自動車免許のAT限定を解除してくれと言われて約2年ぶりに自動車学校へ行った。自分の通った自動車学校は自動車学校から出ている送迎バスじゃないと通えないような辺鄙なところにあった。ここで多くの人が疑問を持つことだろう。「なぜ家の近くの自動車学校ではなく、そんな辺鄙な所に通うのか?」と。自分も本当ならば家の近くの自動車学校に通いたかったのが本音だ。しかし、近いところと遠くて辺鄙なところの自動車学校とで2万円も教習料金が違うことが分かり後者を選んだのだった。
 AT限定解除とはいったい何をするのか?自動車学校のコースをMT車で4時間運転した後、検定に合格すればAT限定解除となりMT車にも乗れるようになる。個人的には同年代の人たちに比べたら車の運転経験はあるほうだと思っていたが、正直言って不安のほうが大きかった。なにせMT車をたったの4時間で乗りこなせるようにならないといけないからだ。それに加えて限定解除をする人は少なく情報があんまり無かったことも要因としてあったと思う。
 不安と緊張の中、久しぶりに自動車学校に行ってMT車に乗って教習を受けた。思い返してみると初めての限定解除の教習を受けた日と2年前、路上検定に合格した日がちょうど同じ日(12月10日)だった。これも何かの縁なのかなと思ったのであった。
 MT車はAT車と違いブレーキペダルから足を離せば進んでいくわけではない。MT車の教習を受けると大半の自動車学校の教官から「エンジンをかけたらアクセルを少し踏んでその状態で左足のクラッチペダルを上げていくように…」といった説明を受けるとは思う。「クラッチペダルをすこしずつあげていけば半クラッチという状態になって車は進んでいくだろう」とは思っていたが、隣に座る教官のほうから「まだまだ..」「もっとクラッチペダルを上げないと進まないよ」と言われ想像以上にクラッチペダルを上げないと半クラッチという状態にはならなく車は前に進んでいかないのだなと感じた。
 MT車の場合、先ほど述べた半クラッチという操作と車の加速具合に応じて1速、2速、3速とギアを変えたりする事(教習場内では2速まで大丈夫)が大きな特徴だ。
 教習所に通った1日目で2時間の教習を受けたのだが、一日目だし場内をぐるぐるして交差点の右左折程度だと思ったが一時間目にしてS字カーブやクランクを通るように言われ自分自身驚いた。二年前に免許を取得するために通っていたときはS字カーブやクランクというコースに対して苦手意識があったのだが、免許を取得してからの2年間車を運転する機会が多かったからか「これくらいハンドルを回せば脱輪せずに通り抜けできる」という車両感覚が身についていて難しさは全然感じなかった。それと同時に「こんなに簡単だったか」と我ながら驚いてしまった。脱輪するかどうかよりも遅い速度で進入してクラッチ半クラッチの状態にしたりクラッチを切ったり(クラッチペダルを完全に踏み込んだ状態)という断続クラッチという慣れない操作に少し戸惑った。
 少し話が逸れるが、MT車を運転するにあたってエンストはつきものなのかなと感じる。混んでいる教習所でエンストをすると後続の車がどんどん来て「早く発進させないといけない」と焦ったり教官のほうから「早く半クラッチにして発進させて!」と煽られることもあるかもしれない。教習を受けて数時間でエンストを一度もせずに運転するのはなかなか難しい。大事なのはどういう状態だとエンストしてしまうのかこれくらいまでクラッチペダルを上げたら半クラッチになって車が動き出すのかという感覚を体で覚えることなのだろう。教習場内を受けている間ならエンストして後ろの車が沢山いたとしても「慣れてないし操作が難しいし迷惑かけても仕方ないよね」くらいの気楽な気持ちで運転していくほうが感覚は身につくのかなとも思う。
少し話は逸れたが後日、MT車取得までについての完結編を書きたいと思います。

そこまで無理する必要ないよ

2019年も残すは30日少々…年を重ねていくにつれて1日1日が過ぎ去っていくのが早く感じます…。
 前回のブログでは長々と書いてしまいました。今回のブログは前回のことも交えつつ書いてみようかなと思います。
 皆さんも小学校時代に女子なら女子同士、男子なら男子同士で何人かのグループを作って遊んだ経験があるのではないでしょうか?
自分自身も小学校高学年の頃は、5~6人のグループの中に入って(いつの間にか入っていた)遊んでいました。その当時は休み時間になるとサッカーをしていた記憶がある。サッカーボールで遊ぶのが好きで遊びに加わっていたらいつの間にかそのグループの中に入っていた感じだっただろうか。当時の自分はサッカーのルールを全く知らず、どこにパスを出せばいいとか戦術もサッパリ…(苦笑)。下手であったので「お前のせいで負けた」「何、やってんだよー!」とか罵倒されることが多かった。そういう風に言われることが多いとやっている自分自身も楽しくはなく、体育館とかで別の子たちと遊ぶと睨まれ「裏切者」とか言われたり他にも嫌がらせをされたり..自分自身傷つき、また新しいグループに入ろうにも入れず、、自分の中ではだんだんこのグループから逃げられないと思いが強くなり休み時間は嫌々サッカーをやっていた記憶がある。

こんなことを書いているのでサッカーは嫌いかと思うかもしれないが上達していくうちにサッカーが好きになり今度札幌ドームでコンサドーレの試合を観に行ってみようかなと思っていたり((笑)。
 後に大学の講義で知ることになるが女子同士でいつも同じ行動を共にするグループのことを「チャムグループ」、男子同士であれば「ギャンググループ」というみたいだ。こういったグループでは自分自身と同じ人(考えや価値観)を求めるようになり、また自分とは違う人(考えや価値観)に対しては排他的になるそうだ。
私自身はというと一人で自由気ままに行動する事を好む気質だったせいか、色々な人と関わっていたり、ある日は図書館で本を読んでいたり、またある時は体育館で鬼ごっこ、違う日にはグラウンドでドッジボールして遊んだりといった事をしていたのだが、そのギャンググループに加わってからは状況が一変してしまった。
嫌々サッカーをやるのが嫌で抜け出すと教室では教科書とかを隠されたり、給食時はどこで食べても自由だった(前回のブログに記載)訳だが何かグループ内でいざこざがあると「ここで食うな」と言われ仲間外れにされたり…先生に上記のような嫌がらせを受けるので何とかしてほしいと言っても笑われて「そんなの自分たちで解決しろ」と言われ、また教室の雰囲気もそういった事には自分には関係ないやといった状況だったことを鮮明に覚えている。
 さらには放課後の帰り際にも筆箱だの教科書を取られたり、自分一人に対して数人で雪山に顔を突っ込ませてきたり、今なら誕生日とかでパイを人の顔に投げつけるのがあるがそれの雪バージョンを自分に対して行ってきたり…当然だが冷たいし痛い。また、ある時には、犬のあれを踏ませようとして来たり…それらのことに対して拒もうとすると「やらなかったら○○するぞ」と脅してきたり…自分なりには抵抗し怒ったりもしたがそういった嫌がらせ(その行為を行っていた奴ら曰くイジリらしい)日に日にエスカレートし当時の担任に言っても根本的な解決にはならない。また自分自身、親にはそういうことを話して悲しませたくない、迷惑をかけたくないとも考えていてそのことを誰にも話せずじまい。それらに加え真面目な気質せいか学校に行かなくてはと自分自身を無理やり奮い立たせていたが日に日に精神的に参っていったし、気が休まる時間はかなり少なかった気がする。
嫌がらせを受けていくうちにやがて抵抗するだけ無駄と思ってしまい、されるがままといった感じになり彼らの自分に対する仕打ちもどんどんエスカレートし夏のプールでは自分一人に対し4人くらいで自分をプールの底へ沈みこませようとしてきたり決定的な出来事としては学校の水飲み場の蛇口に液体の石鹸を入れてそれを飲めと強要をされたり。。。拒否しても嫌がらせを受けるしその時の自分自身、誰かに言っても解決にならないと思い込んでいたこともあり渋々その液体せっけんが入った水を飲んだ。それを偶然にも清掃のおばさんが見ていたことと自分自身吐いたのもあり、放課後に自分とその当事者が校長室に呼ばれる騒動にまで発展してしまった。そのことがキッカケで自分自身に対するイジリ(自分の中ではいじめとも思っているが)も無くなっていった。
そういった中での数少ない癒しというと家に帰った後にテレビゲームをする事や家族での旅行、あとは当時通っていたスイミングスクールで泳いだりその時にできた友達と話したり遊んだりする事だった。その時ばかりは学校での嫌な事をすべて忘れ思いっきり楽しんでいった記憶がある。
その当時の自分自身に声をかけるとすれば何だろうか...?「そんな無理してまで学校に行かなくてもよくない?」って声をかけてあげるのかな?

p.s こんな長く暗い内容のブログにお付き合いいただきありがとうございます。

 

隣の芝生は青く見える

初めまして、気ままにブログを書いていけたらと思います。

ある日の朝、小学校の前を通ると児童たちが元気に先生に挨拶をして学校へ登校していくのを見た。その児童たちの目はキラキラと輝き、希望に満ち溢れているように見えた。

 その光景を見て私はふと「自分の小学校時代はどんな感じだっただろうか?」そんなことを考えていた。自分も小学校に入学当初は学校に行くのが楽しかった。大きな体育館、給食、音楽室に鍵盤ハーモニカにリコーダー、ありとあらゆるものが新鮮に感じていたことを覚えている。

 ただ、ある時を境に学校に行くことが苦痛で苦痛で仕方がなかった。「インフルエンザに感染しないかな」「雨に濡れて風邪ひいて休んでしまおう」とそんなことを毎日思っていたり、また学校に行くと度々吐き気に見舞われていたのを思い出す。あれは小学校高学年になってからの出来事と記憶している。

 当時のクラスを振り返ってみると、授業中にカードゲーム等をして遊んだり、理由もなく何人かで授業や卒業式の練習を抜け出したりと自分の中では荒れたクラスなのかなと思う。また、当時5年生の頃の担任の先生も小学校ではなかなかいない珍しいタイプの先生だなと思っていた。その先生は、小学校高学年になる自分たちを大人扱いしていたのか席替えは自分たちで勝手に決めるシステム、給食は何人で食べても自由。また授業中に寝ていてもカードゲームとかで遊んでいても怒ることは一切なかった。毎週出る学級便りではテストで誰が何点取ったかを掲載したり、またある時の自由研究では1人だけ提出しなかった子がいたがまるで誰が提出していないかを保護者に晒すかのように提出した人全員のモノを学級だよりに掲載していた。小学校というより高校にいるタイプの先生かなと今になって思う。

 そんな先生のことを面白く思っていない児童とその母親がいて、ある日の家庭科の授業時にその母親が一人で授業参観に来ていた。その日は授業参観日ではなかった。家庭科ではミシンでエプロンを製作する授業を行っており、先生は作業が終わっていない子の手伝いをするために家庭科室にいた。作業が終わった多くの子は教室で待機していた時に例の母親が当然大きな声で「皆さんは○○(担任)のことをどう思いますか?」と聞いてきた。多くの生徒はポカンとしていた。「あの母ちゃんはどうしたんだ?」そんな雰囲気に包まれていた。その後、その母親は校長を訪ねて「担任の先生を教育委員会に訴える」と脅したと聞く。典型的なモンスターペアレントだ。その後も小学校に電話をかけて「教育委員会に訴える」と脅したと聞いた。その影響もあってか1年で担任の先生は変わった。新しい先生はどこにでもいそうな普通の小学校の先生だった。ただ校長先生が教室を見回りに何度も来たり様子が変だなだなと感じた。ある授業中に漫画を読んでいる子がいた。そう例のモンスターペアレントの子供だ。先生は優しく注意をするだけで取り上げることもしない。それを見ていた別の児童が同じように漫画を読むと今度は一変、鬼のような形相で漫画を取り上げていったのを覚えている。児童からは差別をするし嫌いだという声があるのも当然だろう。

そんなクラスに2年間いて不思議だったのは、先生が「この算数の問題分かる人いる?」と聞いても誰も手を挙げない。一人ひとり名指しで当てても全員「わかりません」と言う。自分自身も「わかりません」と答えていた。答えは分かっていたのだがそれをさせない教室の雰囲気があった。普通のクラスであれば毎回何人が手を挙げるイメージがあったから強く違和感を覚えていた。

一方、もう一つのクラスの担任の先生は明るく熱く生徒思いで教室の雰囲気も良く楽しそうに見えた。そのクラスの子に「楽しそうでいいね」と言うと「楽しいよ」と返ってくる。「俺もあっちのクラスが良かったなあ」そんなことをしょっちゅう思っていた。「隣の芝生は青く見える」とはこのようなことを言うのだろうか。

p.s長々と書いてしまい申し訳ございませんでした。